6000系

60076038N

製造年次ごとに見る

1次車

2次車

3次車

4次車

5次車

6次車

7次車

8次車

9次車

10次車

本線運用車[全車廃車]

4連

6006F

6007F

6008F

6018F

6022F

6028F

6029F

6030F

6036F

2連

6019F

6045F

6046F

6047F

6048F

6049F

6050F

6051F

6052F

三河ワンマン車

4連

6001F

6002F

6003F

6004F

6005F

6015F

6016F

6017F

 

2連

6014F

6020F

6021F

6034F

6037F

6038F

6039F

6040F

6041F

6042F

6043F

6044F

 

 

 

 

 

 

蒲郡・広見ワンマン車

2連

6009F

6010F

6011F

6012F

6013F

 

 

 

 

瀬戸線[全車廃車]

4連

6023F

6024F

6025F

6026F

6027F

6031F

6032F

6033F

6035F

 

 6000系は、1976年に登場した名鉄初の本格通勤型車両である。10年に亘って152両が製造されたが、製造期間の長さから増備途上での変更点も少なくない。当サイトでは車体の特徴から大きく初期車(1次~4次)・中期車(5次車~8次車)・後期車(9・10次車)の3種に分けて紹介するが、製造時期による細かな差は各次車のページで紹介する。
 車番は豊橋方からク6000-モ6300-サ6100-モ6200(2連は中間2両抜き)、当初から大量増備を見込んだため名鉄では唯一の100刻みとなっている。なお編成で下2桁が統一されるようにしたため、中間車には欠番がある。

 

【車体・車内】
 いずれも3扉・扉間固定クロスシートであるが、前面形状は初期車・中期車と後期車で異なるほか、側面はそれぞれ異なっている上に後期車では両端の扉の位置が変更されている。方向幕は前面にのみ設置されているが、幕に入っていない種別・行先、それに系統板を掲出するための金具が設置されている。塗装はスカーレット1色が基本だが、後期車からは3扉車であることを示すため扉の上半分を灰色に塗装した(2005年までに全車が灰色塗装を取り止め)。
 1976年から1979年にかけ製造された初期車は全体的にパノラマカー7700系の印象を引き継いでおり、前面が高運転台の前面貫通型、側面は窓の天地寸法が小さい側扉(4次車除く)と全て固定式の側窓が特徴である。車内は扉間に750mm間隔で小型の固定クロスシートを中扉を境に離反式で配置、車両間の貫通扉は広幅に両開きである。冷房装置は10,500kcal/hのものを1両に3基搭載する。
 1980年から1983年にかけ製造された中期車では、省エネルギー化を進めるための変更を実施した。車体は前面形状こそ同一であるが側窓が全て開閉可能な上昇式に変更され、冷房装置は能力を若干強化したものを1両に2台搭載。冷房装置の減少を補うべく、ラインデリアから冷風を吹き出すように変更したほか、熱交換器(ロスナイ)を設置した。
 1984年からは4連の製造が界磁チョッパ制御で回生ブレーキを使用できる6500系に移行したが、2連については回生ブレーキが活きない支線にも多く入線するため6000系として引き続き製造された。車体は6500系と同様に前面非貫通で窓の上下部を銀色とした「鉄仮面」スタイルとなったほか、側面は他編成と併結しても扉位置が同じになるよう両端の扉の位置が車体中央寄りとなった。座席はクロスシートを大型化したほか、中央扉付近にもロングシートが設置された。

 

【主要機器】
 MT比を1:1の経済編成とするため、制御装置は1C4Mの抵抗制御、主電動機は全電動車であるSR車の2倍の150kWとした。補助電源装置や空気圧縮装置はク6000・サ6100に搭載しているが、補助電源装置については前期車・中期車がMG、後期車がSIVである。制動装置は電磁直通ブレーキで、初期車は自動ブレーキを併設している。性能としては普通運用を前提としており、他系列との併結は原則として不能。先頭部の連結器には密自連の下に電空連結器を設けた「M式自動連結解放装置」を設置、他系列と併結しないので不要なはずだが従来の空気ホースも併設していた(近年撤去)。

【製造時期による相違】
 中期車・後期車は製造時期による差が少ないが、前期車は幾つかの変更点があった。7700系および1次車は前面貫通扉が一段窪んでいたが、2次車からは窪みが無くなりフラットになったほか前面幕の天地寸法が拡大された。4次車からは側扉窓の天地寸法がが側窓と同一になったほか、車端部の貫通扉は片開きの狭幅となった。

 

【改造】
・ロングシート化
 前期車および中期車は混雑緩和、またあまりに小さい座席が不評であったことも背景にあると思われるが、1985年から1990年までの間に全てロングシート化された(車内の様子はこちら→初期車中期車)。後期車は1995年から翌年にかけ2編成がロングシート化されたが、残りの編成はクロスシートが残存している。
・冷房装置取り換え
 1993年から中期車・後期車の冷房装置を12,500kcal/hのものに取り換えており、2016年までには終了している。交換の途上では1両に2種類の冷房装置を搭載した車両もあった。また交換時期は不明だが、初期車でも冷房装置を取り替えた車両が存在する。
・瀬戸線対応
 瀬戸線の輸送力増強とHL車の取替えのため、1995年に2連8編成、翌年に中間車6組、2000年に4連1編成と中間車2組が瀬戸線に転属した。転属したのは全て中期車で、中間車は挿入先の先頭車に合わせて車番を変更している。詳細はこちらを参照されたい。
・特別整備/重整備
 初期車の製造から20年が経過した1997年から、車体・車内の整備を中心にした特別整備を開始した。内容は車体補修に加え側面行先表示器の設置、車内では車椅子スペースや扉開閉チャイムの設置、化粧板や床敷物の取替えなどを行った。2003年までに初期車17編成に全て施工した。
 中期車・後期車への特別整備は長らく実施されていなかったが、2014年から今後も当面使用されると見込まれる三河ワンマン車(後述)に対し「重整備」が行われた。内容は初期車の内容に加え座席袖仕切変更、スタンションポール設置、吊革取替、行先表示機のLED化、扉開閉チャイムの変更、車椅子スペースへの車椅子固定金具の設置などである(車内の様子はこちら)。2018年度までに三河ワンマンの中期車2連11編成すべてに施工された。また2020年には同じく三河ワンマン車の初期車の6014Fに対し同様のメニューで2度目の整備が実施されている。
・ワンマン化改造
 1998年、西尾線・蒲郡線の西尾~蒲郡間でワンマン運転を開始するのに伴い、3次車5編成に対し車内収受式のワンマン対応改造を実施した。詳細は3次車のページで紹介している。
 2001年には三河線(知立~猿投間)で駅収受のワンマン運転を開始するのに伴い、4連3編成(1次車)と2連11編成(中期車)に対しワンマン化改造を行った。主な内容は自動放送装置や足踏み式デッドマンの設置、ホームセンサーの情報伝送装置の設置などのほか、中期車に対しては扉開閉チャイムの設置と窓下への保護棒設置も行っている。また2連には併結運転中の非常時に対応するため貫通扉を外側からも開閉できるようにするとともに、豊橋方の前面手摺りにロープを設置した。
 2006年からは三河線(知立~碧南間)でもワンマン運転を開始するのに伴い、4次車に対しワンマン化を実施。また知立~碧南間ではホーム安全監視を運転台モニタで確認する方法としたため、従来からの三河ワンマン車を含めモニタを設置している。2009年から翌年にかけては、7700系と7100系が廃車されたため1次車2編成と3次車1編成をワンマン化した。

 

【運用】
 
前述の通り当初は普通列車用として登場したが、数を増やすとともに輸送力列車に充当される機会が増え、想定されていなかった優等列車への充当も多くなった。高速運転に対応する後継車が登場し数を増やすと瀬戸線や三河線など高速運転を行わない路線に活躍の場を移す編成が増えたが、現在もワンマン化されていない編成は2連が6800系、4連が6500系と共通運用とされているため、豊川線直通や犬山・河和系統、西尾線の急行や準急のほか、各線の普通電車まで幅広く運用されている。また2018年度ごろからは廃車が進行した5300・5700系に代わって平日日中の河和線特急にも充当されるようになった。一方ワンマン化されたグループは受け持ち路線を軸に運用されているが、両者とも本線などでの間合い運用があるほか、三河線の2連は数に余裕があるのかワンマン非対応の2連の代走を受け持つこともある。
 廃車は2011年に4000系の増備が進んでいた瀬戸線所属編成から開始され、2014年までに全廃となった(同時に同線から鋼製車体の「赤い電車」が消滅)。本線系も2016年の4連2編成を皮切りに廃車が進行、途中5300・5700系の置き換えを優先した時期があったものの、ワンマン運転に対応しない編成は2023年度までに全廃。三河線のワンマン運転に対応する編成も6500系に置き換えられる形で2022年度から廃車が開始されている。

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最終更新:2023/7/3

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