キハ40系 |
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キハ40系は、1977年に登場した国鉄の一般型気動車である。両運転台のキハ40形、それを片運転台にしたキハ48形、近郊型として扉を両開きにしたキハ47形の3形式が計888両製造された。 ■基本仕様(原型) 車体は鋼製、寸法は全長21.3m・幅2.9mと急行形気動車に準ずるものとなった。塗装は所謂「首都圏色」である。車内は扉付近を除きボックスシートで、扉はキハ40形・キハ48形が1000mmの片開き、キハ47形は1300mmの両開きである。キハ47形と暖地向けキハ40形以外は扉と客室の間にデッキを設けている。冷房は準備工事もなされておらず、改造も国鉄時代には鹿児島地区の15両(降灰対策)に行われたのみである。各形式とも暖地形・寒地形の区分を設けており、寒地形はコイルバネ間の雪挟みを防ぐためなどの理由で新設計の空気バネ台車(DT44)を採用している。エンジンは220PSと従来の一般形気動車よりは高出力になったが、車体が重さで相殺されてしまっているため結果的には従来車と同等の走行性能しか発揮できない。車番は片運転台のキハ47形・キハ48形は+500で寒地向け、+1000でトイレ付きを示すが、詳細は各形式のページを参照願いたい。 非電化の多くの線区に投入され、分割民営化の際にはJR旅客6社全てに継承された唯一の旅客車となっている。
■基本仕様(JR東海) JR東海にはキハ40形14両・キハ47形5両・キハ48形40両の計59両が承継された。1988年から冷房改造を実施、1990年からは本格化させ、翌年度中に全車への設置を完了。また1990年からは現在のアイボリー地に湘南色帯の塗装に変更された。 非力なエンジンはやはり問題になり、各社で換装が行われたが、JR東海では1989年から紀勢線のキハ40形、1992年からは武豊線のキハ48形に対しカミンズ社製の高出力(350PS)エンジンに換装、いずれも原車番+3000された。1997年からは残りの車両でも換装がなされ、1999年度に完了した。またキハ40形・キハ48形では一部にワンマン化も実施されており仕様が複雑になってしまったため、1997年のエンジン換装から車番の振り直しを実施。1989年や1992年にエンジン換装を行ったグループに関しても改番されている。詳細は各形式のページを参照願いたい。
■運用 JR東海では当初美濃太田区(高山線・太多線)、伊勢区(紀勢線・参宮線)に配置していたが、1991年に武豊線のキハ58系を置き換えるため美濃太田・伊勢両区車両がそれぞれ一部名古屋車両区に転属となった。しかし1999年にキハ75形が投入されると同区の車両は再び美濃太田・伊勢両区に転属となった。 美濃太田区の車両は2014年からキハ25形1000番台により、また2015年春以降は武豊線電化に伴いキハ75形やキハ25形0番台によって置き換えが行われ、同年5月末にはキハ11形と共に高山線・太多線から撤退した。伊勢区の新車投入に置き換えは高山線より遅く2015年夏に入ってから始まったが、実際にはそれ以前に一部車両が美濃太田区から転属しており、検査切れになった車両は廃車になっている。同区の車両についても2016年春までに引退する予定である。
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