211系

K7C2

国鉄211系は1985年に登場した近郊型電車で、113・115系に代わり久々に登場したフルモデルチェンジ車である。車体に軽量ステンレスを採用し、台車はボルスタレス式、制御装置は界磁添加励磁制御として回生制動を常用するなど、新機軸が随所にみられる。

東海地区には1986年に0番代の4連2編成が投入されたことに始まる。基本的には東海道線東京口に投入されていた0番代に準ずるが、当初帯色を青と白にした点や編成構成の相違などが目立っていた。0番代の投入はこの2編成で終了、長らく東海道線で活躍していたが、2011年秋に神領区に転属し主に関西線で活躍している。詳細は0番代の項目をご覧頂きたい。

国鉄は1987年に分割民営化、前述の0番代2編成はJR東海に引き継がれた。1988年からは0・2000番代をベースにマイナーチェンジを施した5000番代を製造した。外観は前面貫通扉や乗務員室助士席側の窓を213系並みに拡大した点、機器類では冷房を集約分散式に変更した点や名古屋地区の0番代になかった自動解結装置を採用した点、補助電源装置をブラシレスMGからDC-DCコンバーターに変更した点が特徴である。車内は2000番代に倣ってオールロングシートにしたが色調は独自のものに変更、当初は全編成トイレ無しの方針であった。なお車内についてはこちらも参照願いたい。

1次車は1988年7月に登場、4連4編成と3連6編成の全てが神領区に配置となった。側面行先表示が天地寸法の低いLED式となっている点が特徴で、日本語・英語の表示は交互に行われる。

2次車は103系や113系の置き換えや列車の増発の為に、同年11月から翌年3月までに4連16編成と3連11編成が神領区に、3連11編成が大垣区に配置された。側面行先表示器はLEDが不評だったため、天地寸法はそのまま幕に変更された。

1989年夏に登場した3次車からは静岡地区への投入も始まり、3連17編成が製造された。中央線では長距離運用が増加していたがトイレが無く苦情も多かった他、中央線中津川以北・身延線の狭小トンネル対策を施した車両も必要になったことから、トイレ付のクハ210形5300番代とパンタ部の屋根を下げたクモハ211形5600番代が登場。これに伴い組替えが発生し、一部は神領区から静岡区に転属した。側面の行先表示は0番代と同じ寸法の物に戻っている。このほか120km/h運転に備えた増圧ブレーキや耐雪耐寒設備の準備工事も行っている。

4次車は1990年春から製造された。神領区の3連3編成はいずれもトイレなしで残っていた4連からサハを抜き取り4連化している。静岡地区には御殿場線用として2連で1M方式の6000番代が3編成投入された。1991年春には6000番代6編成が増備され、JR東海における本形式の増備は終了。5000番代は最終的に4連20編成、3連48編成、2連9編成が製造された。

 

中央線では快速や普通などに幅広く、東海道線では4連の0番代・3連の5000番代とも普通運用を中心に充当されていた。神領区所属の編成については2005年の愛知万博開催に伴うアクセス列車「エキスポシャトル」に充当され愛知環状鉄道線に直通、連日フル稼働の状態となった。2006年のダイヤ改正では313系が増備され5000番代は東海道線名古屋地区からは撤退、全て静岡区に転属している。

現在は神領区の編成が中央線名古屋〜南木曽間・関西線名古屋〜亀山間・愛知環状鉄道線高蔵寺~瀬戸口間(かつては全線)で、静岡区の編成が東海道線熱海~豊橋間・御殿場線全線・身延線富士~西富士宮間で運用されている。2022年からは315系の投入に伴い廃車が開始される見込みである。

※当サイトでは神領区所属編成のみ各編成の写真を掲載しています

神領区所属(5000番代)
4連 K1 K2 K3 K4 K5 K6 K7 K8 K9 K10
K11 K12 K13 K14 K15 K16 K17 K18 K19 K20
3連 K101 K102 K103 K104 K105 K106 K107 K108 K109 K110
K111 K112 K113 K114 K115 K116 K117      
大垣区→神領区所属(0番代)
4連

C1

K51

C2

K52

           

 

 

 

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最終更新:2022/1/8

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