100系は、豊田線ならびに地下鉄鶴舞線直通用として1978年に登場した形式である。当時本線系統で増備が進んでいた6000系をベースとしつつも、名古屋市との協定に対応して戦後の混乱期に用いられた初代3700系以来となる20m級車両である。
【車体・車内・主要機器】
車体は20m級4扉、6000系と同様に前面貫通型で、高運転台であるが窓下にステンレス製の飾り帯を巻き、灯具類も銀色のカバーが目立つ印象的な仕上がりである。側窓は冷暖房完備であることから全て固定式である。車内はオールロングシートだが、パイプと袖板を組み合わせた袖仕切や横引き式カーテンなど当時の通勤車にしてはハイグレードな設備を備えており「サロン調」と称される(車内の様子はこちらも参照下さい)。
主要機器は当初6000系と同様で、制御装置は抵抗制御、主電動機は直巻電動機で全電動車であることから出力は100kWとしている。台車も6000系と同等のものを用いている。詳細は後述するが、1989年の増備車からは制御装置を界磁添加励磁制御としたほか、6両化のため製造された5次車以降は制御装置がVVVFインバーターに、MT比を1:1としたため出力170kWの誘導電動機とした。更に台車はボルスタレス式に改めている。制動方式は一貫してHSCだが、1989年の増備車以後は回生ブレーキを常用する。
【製造時期による相違】
1978年に1次車2編成が登場、翌年早々に三河線で営業運転を開始した。2次車は豊田線開通を1か月後に控えた1979年6月に3編成が登場、名鉄側は4連5編成で地下鉄鶴舞線との相互直通運転を開始した。
10年が経過した1989年、3次車1編成が登場した。外観は1・2次車と同様だが、制御装置を界磁添加励磁制御として回生ブレーキを常用、また車内は座席や天井の形状が当時増備されていた6500・6800系並みとされた(車内の様子はこちらも参照下さい)。1991年には4次車4編成が登場したが、このグループからは車番を200番台としている。基本仕様は3次車と同等だが、車内の色調は当時増備されていた6500・6800系に合わせた。犬山線と地下鉄鶴舞線との相互直通運転に備えて製造されたが、当初は犬山線~常滑線・名古屋本線を中心に活躍しており、ラッシュ時には2編成併結した8連での運用も存在した。なお行先表示機は本線系での運用に対応していないため、専ら系統版を掲出して運用されていた。
1993年の名鉄犬山線と地下鉄鶴舞線の相互直通運転開始に際して、鶴舞線は終日6連での運転とされた。これに伴い既存車の中間に2両増結することとなり、5次車(中間車ばかり2両10組)が製造された。前述の通り足回りが刷新されており、100系初の付随車も登場した。車体は既存車並みであるが、車内は同年登場の3500系の要素を取り入れている。翌1994年には社内では6次車とされる「200系」6連1編成が登場。5次車並みの足回りで編成を組んだものであるが、車体は既存車と同等、車内は5次車並みであるが1両に2か所LED式の情報案内装置を備えたほか、先頭車には車椅子スペースを設置している。
【改造】
初期車の登場から30年以上が経過した2011年度から、1・2次車に対して特別整備が施工された。名鉄では珍しく主要機器の交換が行われたことが特徴で、制御装置をVVVFインバーターに、主電動機を誘導電動機に交換した。これにより編成全体で回生ブレーキを使用することが出来るようになった。なお主電動機は出力が200系と同じく170kWであり、全電動車であった1・2次車のうち十の位が1と3の車両がそれぞれ制御車・付随車化され3M3Tの編成となった。また5次車である3・4号車以外は車内にも手を加え、床敷物が200系と同等のものに交換されたほか三角形の吊革の採用、先頭車に車椅子スペースや扉開閉チャイムの設置なども行われた。2013年度までに1・2次車の全5編成に対し改造がなされ、100系の抵抗制御車は消滅した。なお中間の5次車は基本的に無改造であるが、吊革の取り替えなどを行った車両がある。
【運用】
運用区間は地下鉄直通運用が犬山線犬山~上小田井・地下鉄鶴舞線・名鉄豊田線で、このほか三河線土橋に留置される車両が豊田市まで営業運転される。回送では三河線梅坪~猿投間、各務原線・犬山線の三柿野~新鵜沼~犬山に入線するほか、ダイヤ異常時に広見線犬山~新可児間の列車に充当されることがある。
100系1・2次車 |
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112F |
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115F |
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100系3・4・5次車 |
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200系 |
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